精神世界や宗教やスピリチュアルのこと
私は自分の家の宗教を知りません。父に聞いても「浄土宗だったかなぁ?」程度の返答です。母方は神道です。母方が神道なこともあり、初詣や氏神様の前を通りかかった時はお参りをしています。
ただ、しっかりとした信仰は持っていませんし、多分これからも持たないと思います。
子どもの頃から「お天道様は見てるよ」ということはいつも心にあります。これが私の宗教かもしれませんね。
離婚前から今までの4年位?色々な本を読みました。Amazon kindleで買った本(少々のマンガもあり)を見たら20万円位になっていました(;'∀')
昔はよく図書館に行っていたのですが、子どもと私で病気をしまくり「借りられても返却に行かれない!」ということですっかり図書館にも行かなくなってしまいました。
物理的なこともあり(部屋の狭さ)、電子書籍ばっかり。便利な世の中ですね。
良く読んでいるのは「精神世界」や「量子力学(引き寄せ)」や「スピリチュアル」。
子どもや自身の病気が辛くてどうしたら良くなるか、幸せになれるのかそればかりを考えて手当たり次第色々な本を読みました。
3~4年ほど読んでみて「いつも分かったような気になっては結局何も変わってなくてもがく」を繰り返しているなあと昨日気づきました(遅)。
私の心の底まで響いていない、理解出来ていないのでしょうね。頭では分かるんだけど、心の底に入ってこない。
多分、下手に年齢を重ねて色々な打算や「どうせ無理でしょ」という下手な諦め、「そんなこと言ったって結局はさ・・・」の類の言い訳。そんなものが頭の中を占めてるんだろうな。
素直に「スッ」と出来ない。やってない。逆にあれこれ読み過ぎて、どれが「正しいのか分からない」。
「ああもうよく分からないから、自分で出来そうで楽しそうなものを試してみよう」
という訳で今日の一冊!
斎藤一人 絶対、なんとかなる! (言えば心が軽くなる、毎日笑って暮らせる)
- 作者: 斎藤一人
- 出版社/メーカー: マキノ出版
- 発売日: 2019/03/01
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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斉藤一人さん。
この方、メディアにも絶対に出ないし、何やら謎に満ち溢れているんですよね。
若干「宗教・・・?」とも思いました。
ただ書いてあることは分かりやすいし、面白いんですよ。
「病気は自分が作ってるんだよ。神様に『生き方間違ってるよ』って言われてるんだよ」とかね。
私も「何で自分ばっかりがこんな目に合うの?もっと健康だったら、あんなこともこんなこともしてみたかった。離婚もしたし。子どもも病気ばっかりだしなんで?」と被害妄想まっしぐらでした。
「それも全部自分の責任だよ」と一人さん。「自分の人生、自分の責任」。最もです。
「そもそも病気があったなら、比較的ゆとりがあって長く勤められそうな仕事を新卒で選べば良かったのにそれをしなかった。結婚する時も半分ノリでちゃんと考えて無かった。病気が不安だったら子どもを持たない選択もあった。離婚も相手だけが悪いのではなくて私も悪かった」
よく考えてみると全て私が選んだことなんですよ。押し付けられたことは一つもないんですよね。
虐待されて育った訳でも、貧困の中に育った訳でもない。全て私がやってきたことなんです。
子どもの病気も今思えば私と元夫の夫婦仲の違和感が子どもに出ていたのかなぁとも思います。彼の人生のカリキュラムの一つであるのかもしれません。
昨日も息子は風邪っぽくて夜中の3時に強い咳が出てネブライザーをさせました。それでも以前に比べたら全然回数も減りました。
ほら、だんだん良くなっているじゃない。
何を不満ばっかり言ってるの?
息子の高校受験のこと結構心配です。勉強しないんです。
息子は小さい頃から体が弱くて、幼稚園は半分位しか行ってません。入院も何回したのか分からなくなりました。
学校に入っても休みがちで、私はそれを何とかカバーしてやろうと付きっきりで勉強を教えたり、リコーダーをもう1本買って毎日一緒に吹いたり、縄跳びを教えたり、私が喘息で運動が苦手なので体育の個人レッスンを受けさせたりとそれなりに頑張った自負があります。
副腎不全が分かる前後の一番具合が悪い時期はお皿を洗うことも出来なくて、紙皿紙コップの時もありましたが、息子が帰ってくる直前に起き上がって着替えをして何でもないふりをしていました。それでもボチボチ寝込んでいましたが。そんな時も何とか勉強だけは教えていました。
それが仇となったのか?「自分がやらなくてもママが何とかしてるれるでしょー」と中学生になっても自発的に勉強をしません。
これも私のイライラを増長してくれました。「こんなに私がサポートしてきたのになんで!?なんでこんなに頑張ってるのに分かってくれないの?私のやり方が間違ってたのか。育て方を間違えたのか。私の病弱を引き継がせたんだ。私のせいだ」と。
でもこう考えるのはやめました。
私は親として病弱だった息子を平均値まで持っていくための努力はした。
これからも「何でも先回りしてやってしまう」のは息子の人生を母の人生にしてしまうことになる。彼のため、がいつのまにか私の承認欲求と混同して逆に息子を追い詰めていたんじゃないだろうか?
彼は彼の人生だ。彼が自分の足で歩き始めてつまづいた時、助けを求めてきたら最大限協力してやればいい。
このまま私が横にへばりついていれば学校の勉強でも「平均点」位は取れるでしょう。事実初めての中間テストはそうでした。
でもそれじゃあ彼は気づかない。
今回の期末テストは敢えて「勉強しなさい」を言いませんでした。結果はボロッボロです(笑)
でも前みたいにはやりません。先述の本の通り「なんとかなる!」と宣言して、神様に投げます。
そして私が出来ることを粛々とやります。
きっとそれでいいんだと思う。不安ばかり考えて人生を消耗するのはもうやめにしました。
素直になってこの本の通りにまず「やってみる」。それで何かが変わってきたのか?何も変わらなかったのか?しばらくしたらここにレポートを書こうと思います^^
精神世界も量子力学もスピリチュアルも「覚悟」と「自分の人生へ責任」と「人のせいばかりで感謝とそこにある幸せに気づかない」、ないないづくしの私には本の真意を汲み取ることが出来ませんでした。
しかし、これらの本をたくさん読むことによってぼんやりと見えてきたことあります。それが斎藤一人さんのおっしゃっていることなのかなあと思います。「なんとかなる」
主治医にも「ケ・セラ・セラも大事よ」っていつも言われてたのにね。灯台もと暗し。
なんとかなる、ケ・セラ・セラ・・・色んな言語で「なんとかなる」という言葉があるのですから、きっと、なんとかなるものなのでしょう(笑)
いやー、ここまで来るのにすっごい時間かかっちゃった。
なんとかなるさ!みんなで笑おうね。
追記
前にとある方に言われたんです。
「あなたこれまで辛いこといっぱいあったでしょ?だから、これからは楽しいことばっかりだよ!あなたなら出来ます。明るい未来が待っています」と。
明るい未来を自己憐憫というブルドーザーで潰してたのは私自身なんだなあ。
こうも言われました。「病気はむしろギフト。それがあったからこそ同じ病気の方の気持ちも分かるし、それがあなたの強みになる。どう扱うかはあなた次第」
その方も余命宣告を受けて絶望の淵から舞い戻った方です。今はとてもお元気にご活躍されています。彼女の言葉には経験者の重みがあります。彼女に恥じない様に生きていきたいと思っています。