私がこれまでに経験したことを書くブログ

私がこれまでに経験したこと感じたことを書くブログです。

離婚へ向けて~まずは「離婚届不受理申出」を出す!

早いもので、離婚してそろそろ3年が経過します。

 

相手(元夫)がいることなので余り詳細に書くことは控えますが、私の離婚劇は急転直下なものでした。

 

結婚生活は実質11年。離婚に至るまで色んなことがありました。途中「ギブアップかも・・・」と思ったことも数回ありましたが、子供がいたことで踏みとどまっていました。

 

そんな中、ストレスから私の体調も崩れ始め、一番具合が悪い時に元夫の態度がおかしくなり始めました。

 

「あれ?」と思うようになってから3か月でいきなりLINEでの「別居したい(自分が家を出て実家に帰る)」宣言をしてきました。てかLINEて。

 

その時、無職で寝たきりのような生活で病弱な息子を抱えていた私ですが、「この結婚生活に修復はもう無理だな」と瞬時に判断をしました。

 

いや、私だけだったら別居全然OK。ちょっと別居して自分の生活を立て直してからの離婚でも全く問題は無かったのですが、子供に影響が出始めていたんです。

 

私が「あれ?」と思い始めるのと同時に子供も同じように元夫の異変を感じ始めていて、急に太りだしたり家で荒れるようになってきたんです。

 

別居宣言がクリスマス前だったこともあり、いつもは実家でするクリスマスパーティーにも「パパいないのはどうして?」と当時小3の息子は不安がるようになりました。

クリスマスの時位は楽しく過ごさせてあげたいと思っていましたが、「何故パパがいないのか?何か家がおかしい」と息子が訴え始め、母と私は「もうこれは言わないといけないな」と「離婚をすること、パパはもう帰って来ないこと」を説明しました。息子は狂ったように泣きました。

そして実家から自宅へ帰ろうとした時に発熱をし、そのままケトン血性嘔吐症で入院をしました。

 

元夫が帰らないシーンとした家に私と二人きりになったら息子はおかしくなるだろうなとそのまま実家へ出戻ることを決めました。父も母も受け入れてくれたことに感謝しています。

 

ここまでで元夫の別居宣言からたった2週間のことでした。

幸い私の元自宅と実家は5分と離れておらず、息子は転校することもなく、引っ越しをするだけで済みましたが、私たち親の勝手でどれほど子供の心を傷つけたかを考えると本当に申し訳なく思います。

 

冬休みに入ってすぐに入院した息子を見て「実家へお世話になろう」と決めたからには、「3学期が始まる前に生活を整えて、学校だけでも『普段通り』の生活が出来るように!」と息子の入院中に息子の教科書や布団、おもちゃなどを親や妹夫婦がどんどん実家へ運び出してくれました。

 

私はその間病院で付き添いをしながら学校と連絡を取り、

「離婚が決まったこと」

「学校はそのまま通うこと」

「苗字のこと」

「引っ越しのこと」

「通学班の変更のこと」など細かいことを先生と相談し、3学期から息子が「住む場所以外は変わらずに」登校出来るように準備をしました。

 

そして別居宣言から1か月も経たずにとりあえず実家で生活が出来るように荷物を移し終えました。

 

別居宣言が出てからまずしたことは「離婚届不受理申出」をしたことです。

 

その名の通りお役所に「離婚届が出されても受理しないでね」という届け出をすることです。私は別居宣言の翌日にこれをしました。

 

何でこんなことをしたかと言うと、「片方が勝手に離婚届を出しても受理されれば離婚は成立してしまう。一度受理されれば無効にするためには大変な手間とお金と時間がかかり、挙句無効には出来ないかもしれない。養育費や親権諸々の決めごとが決まってないうちに離婚が成立してしまうのは絶対に避けたい」という理由がありました。

実際に不倫相手にのぼせあがっていたり、養育費や慰謝料を払いたくない等の理由で相手の同意無しに勝手に離婚届を出してしまう人がいるそうです。

私はこの時点で元夫を全く信用していなかったので、とりあえず先手を打っておきました。

 

届出は簡単です。身分証明書と印鑑を持ってお役所に行き、「離婚届不受理申出の申請書」に記載すればOKです。その場ですぐに届出完了です。これで離婚届は受理されません。元夫にはもちろん言いませんでしたよ。

受付証を渡されるのでそれを保管しておいて下さいね。

離婚届を出す時はこの受付証を提出して、離婚届不受理申出を取り下げてからでないと離婚届は出せませんので。

 

この後、夫の通帳(あるもの)を全てコピーを取り、諸々の証拠を押さえ、保険証券のコピーを取って友人に弁護士の先生を紹介してもらいました。

ここまでで1週間もかかりませんでした。寝たきりだった自分が信じられない位動いていましたね。母も「死ぬんじゃないか」と思ったそうです(;'∀')

 

クリスマスに引越しを決め、元夫には「荷物を移したいので、1月中は時間をくれないか。その後に残りの家具とマンションの処分をして欲しい」と頼み、12月~1月の1か月間はひたすら実家での住まいの整えと荷物を移していました。

 

急の引っ越しだったので本当に訳が分からず、とにかく「必要なものだけを持って行く!」と処分と運び出しの毎日で、前日何の作業をしていたかも分からない忙しさでした。

 

とりあえず1月31日に全てを運び出し、最後に鍵をポストに入れました。

 

続きます。